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名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)757号 判決 1970年1月23日

原告

清藤軍治

ほか一名

被告

愛知火災共済共同組合

ほか一名

主文

一、被告らは各自原告清藤軍治に対し二七四万八、一六七円およびこれに対する昭和四三年三月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告清藤軍治のその余の請求および原告清藤セイ子の請求を棄却する。

三、訴訟費用は三分し、その二を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

四、この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告ら

「被告らは連帯して、原告清藤軍治に対し一、〇〇二万一、九六五円、原告清藤セイ子に対し一〇〇万円およびこれらに対する昭和四三年三月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

「原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決を求める。

第二、請求原因

一、原告清藤軍治(以下原告軍治という)は、次の交通事故により傷害を受けた。

(一)  日時 昭和四〇年九月二七日午後七時四〇分頃

(二)  場所 名古屋市中村区小島町泥江町交差点

(三)  加害車 被告林昭彦(以下被告林という)運転の六四年式ブルーバード(愛五や八四一五)

(四)  被害車 原告軍治運転の六四年式ブルーバード

(五)  態様 被害車が前記交差点で赤信号のため東より西に向け停車中 加害車が他車に追突しその他車を被害車に追突せしめた。

(六)  受傷の内容 頭部頸椎鞭打ち損傷

そのため左のとおり治療を受けた。

(1) 昭和四〇年九月二七日より同年一〇月一八日まで、岡山病院入院(二二日間)

(2) 昭和四〇年一〇月一九日より同年一一月三〇日まで、岡山病院通院

(3) 昭和四〇年一二月一日より同月三日まで、坂文種報徳会病院通院

(4) 昭和四〇年一二月四日より昭和四一年一二月二六日まで、同病院入院(三八八日間)

(5) 昭和四二年一月一五日同病院にて受診

(6) 昭和四二年一月一六日より同年四月八日まで、名古屋市立大学病院通院

(7) 昭和四二年四月九日より同年七月一六日まで、同病院入院(九九日間)

(七)  後遺症 頭部、頂部、眼部、肩甲部、手足等(特に右半分)に痛み、しびれが残り、めまい、耳鳴、ふるえ、吐き気等の精神神経障害が残つている。又頸椎々間板が損傷している。

二、被告らは本件事故により原告らが受けた損害を賠償する責任がある。

すなわち、

(一)  被告林は前方不注視の過失により本件事故を惹起した。

(二)  被告組合は、従業員である被告林をして職務のため加害車を運転させ自己のために運行の用に供していた。

三、本件事故により原告らの受けた損害は次のとおりである。

(一)  原告軍治

(1) 治療費 一一万四、一三二円 その明細は次のとおりである。

イ 昭和四二年一〇月二一日より昭和四三年三月八日までの分 四万二、五三二円

ロ 昭和四三年三月九日より昭和四四年二月二八日までの分 四万九、五〇五円

ハ 昭和四四年三月一日より同年四月三〇日までの分 八、〇八五円

ニ 昭和四四年五月六日より同年一〇月一三日までの分 一万四、〇一〇円

(2) マッサージ費 一万二、二五〇円

昭和四四年七月二三日より同年九月一八日までの分

(3) 病院及びマッサージ施設の通院に要した交通費 七万三、〇四〇円 その明細は次のとおりである。

イ 昭和四二年一一月より昭和四三年二月までの分 七、三六〇円

ロ 昭和四三年三月より昭和四四年二月までの分 三万七、九六〇円

ハ 昭和四四年三月より同年四月までの分 九七二〇円

ニ 昭和四四年五月より同年一〇月までの分 一万六、五六〇円(以上病院分)

ホ 昭和四四年七月より同年九月までのマッサージ施設分 一、四四〇円

(4) 原告らの長男の預り費用 九万二、五〇〇円

原告軍治の妻である原告清藤セイ子(以下原告セイ子という)は原告軍治の看護並びに身重のため昭和四〇年六月に生まれた長男の世話ができず、昭和四一年二月一日より同年八月四日までの間中野シズ子方へ一日五〇〇円の割で預けた。

(5) 休業補償費 一三七万〇、六五〇円 その内訳は次のとおりである。

イ 原告軍治は本件事故当時新相互交通株式会社のタクシー運転手として働き、昭和四〇年九月分の俸給として三万七、〇四五円の支給を受けており、右を一日当りに換算すると一、二〇〇円は下らないところ、本件事故以来原告軍治は全く稼働できないので、昭和四二年一〇月二一日より昭和四四年三月三一日まで五二八日間の俸給分 六三万三、六〇〇円

ロ 休業したため支給されなかつた賞与分 八万五、〇〇〇円(夏四万円、冬四万五、〇〇〇円)

ハ 原告軍治は昭和四四年四月一日以降も少なくとも昭和四五年三月三一日までは稼働できないことが明らかであるが、前記会社に継続して勤務していれば右の期間一カ月五万〇、六七一円の収入は得たはずであるから、その俸給分 六〇万八、〇五〇円

ニ 右の期間の暫定給分 四万四、〇〇〇円

(6) 逸失利益 二八五万九、三九三円

原告軍治の前記後遺症の症状から考えて昭和四五年四月一日(三二歳)以降就労可能の三三年間労働力の三五パーセントを喪失した状態が続くとみるべきで、その間少なくとも一カ月に前記五万〇、六七一円は得ることができたはずで、前記暫定給分を加えて年間六五万六、〇五二円の収入を得ることができたはずであるから、その間の逸失利益を年五分の中間利息を控除するホフマン式計算方式によつて算出した。

(7) 慰藉料 五〇〇万円

本件事故の内容、受傷部位・程度、治療経過、その苦痛、後遺症の症状、家庭状況等を総合すると右金額が相当である。

(8) 弁護士費用 五〇万円

被告らが昭和四二年一二月二〇日をもつて補償を打ち切つたため損害賠償を求めるため本件訴訟追行を弁護士たる原告ら代理人に委任せざるを得なくなり、この費用の内、右金額は本件事故と相当因果関係にある損害と認めるべきである。

以上を合計すると一、〇〇二万一、九六五円となる。

(二)  原告セイ子

慰藉料 一〇〇万円

原告セイ子は昭和三九年七月原告軍治と結婚し、昭和四〇年六月長男が生まれたが、その直後本件事故に遭遇し家庭生活は全く破局してしまつた。又本件事故当時長女を身ごもつていたが、乳飲児を抱いて原告軍治の看護付添に献身し、昭和四三年二月より内職に出かけるようになり、本件事故以来苦難の日の連続である。この事情を考えると、原告セイ子は原告軍治が生命を害された場合にも比肩すべき、又は少くとも右の場合に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたものと認めるのが相当であり、これが慰藉料は右の事情、その他の事情を考慮して前記金額が相当である。

四、よつて原告らは被告らに対し前記申立記載の各金員及びこれらに対する本件事故に基づく各損害賠償請求権発生の後である昭和四三年三月二三日から各支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求めるものである。

第三、請求原因事実に対する答弁

一、第一項の事実中、(七)の事実は争う。その余の事実は認める。

二、第二項の事実中、被告林が被告組合の従業員であることは認めるが、その余の事実は争う。

三、第三項の事実は全て争う。

(一)  昭和四三年四月一日以降の稼働不能の点、労働力喪失の点は特に争う。原告軍治の現在の症状は本件事故との因果関係が疑わしく、同原告の個人的・先天的資質によるものである。

(二)  被告らは現在まで見舞、助言、後記のとおり可能な範囲の最大限の補償を続けてきているので、これらの事情を損害額特に慰藉料額算定の上で斟酌されるべきである。

(三)  原告セイ子固有の慰藉料は、本件の場合原告軍治に対する損害の賠償によつて原告セイ子の精神的苦痛は慰藉されると考えられ、原告軍治の慰藉料と別途に認めるべきでない。

第四、被告らの主張

被告らは本件事故の損害賠償として既に原告軍治に次のとおり合計三六〇万五、四七五円を支払つている。

(一)  岡山病院支払 一四万〇、九二五円

(二)  坂文種病院支払 一〇四万一、三九九円

(三)  名市大病院支払 六三万五、五四五円

(四)  眼科医治療代支払 五、一七〇円

(五)  マッサージ代 一万二、五五〇円

(六)  コルセット代 一万四、〇〇〇円

(七)  休業補償、治療雑費、慰藉料等 一二五万五、六八六円

(八)  その他 五〇万円

第五、被告らの主張に対する原告らの答弁

被告らがある程度の治療費等を原告軍治に支払つたことは認めるが、その明細、金額は争う。

第六、立証〔略〕

理由

一、事故の発生と原告軍治の受傷

請求原因第一項の事実は後遺症の点を除いて当事者間に争いない。

二、原告軍治の後遺症

〔証拠略〕を総合すると、原告軍治は本件事故によつて頸部損傷の傷害を受け、後頭部、右頭部、首部、背部の痛み、及び不眠、めまい、耳鳴りに悩まされ、岡山病院、坂文種報徳会病院に入院、通院して治療を続けたが病状はほとんど改善されないため、昭和四一年一二月一日より名古屋市立大学病院で診断を受けるようになり、同病院で通院、入院の上種々精密な検査を受けた結果、頸椎々間板の変形が認められ、これが前記症状の最大の原因である可能性が強いと診断された。そのため担当医師は頸部の手術を勧めたが原告軍治が承諾しなかつたためと手術によつても一〇〇パーセントの治癒は期待できない等のためから、結局手術は行なわれないことになり、投薬等いくつかの治療を続けたがどの治療方法にも抵抗的な反応を示し依然病状はほとんど改善されず、昭和四三年三月末日をもつて症状固定と診断され、担当医師は原告軍治に更に治療を続けるも効果はあまり期待できない旨通告したが、原告軍治の希望により現在まで対症療法的な治療を続けていることが認められる。そして原告軍治は現在でも原告ら主張のような症状に悩まされていることが認められるが、右状態は本件事故の受傷によるものであるほか、たぶんに原告軍治の個人的・先天的素因が原因となつており、その改善はかなり困難であることが認められる。

三、被告らの責任

〔証拠略〕によれば、本件事故は被告林の前方不注視の過失によつて惹起されたものと認められ、右〔証拠略〕によれば加害車は被告組合の所有に属するものであり、被告林が被告組合の従業員であることは当事者間に争いないから、特段の事情がないかぎり被告組合は加害車を運行の用に供するものと推認されるところ、本件においては右特段の事情は認められない。したがつて被告林は民法七〇九条により、被告組合は自賠法三条により本件事故により原告らの受けた損害を賠償すべき義務を負う。

四、原告軍治の損害

原告軍治が本件事故により受けた損害は次のとおりである。

(一)  治療費 一一万四、一三二円

〔証拠略〕によれば治療費として少なくとも原告ら主張のとおりの損害を認めることができる。

なお、前記のとおり原告軍治の病状は昭和四三年三月末日をもつて固定したものとみるべきであるが、〔証拠略〕によれば同日以降の治療も少なくとも対症療法としての意味があることは明らかであるから、同日以降の治療費も本件事故と相当因果関係にある損害といえる。

(二)  マッサージ費 一万二、二五〇円

〔証拠略〕によれば、原告ら主張のとおりの損害を認めることができるところ、前記の原告軍治の後遺症の症状・程度、各原告本人尋問の結果認めることのできる原告軍治の後遺症による苦痛の程度から考えてマッサージの必要性を否定することはできず、右損害は本件事故と相当因果関係にある損害といえる。

(三)  交通費 七万〇、五六〇円

〔証拠略〕によれば原告らは本件事故当時名古屋市中川区に居住しており、昭和四三年三月に小牧市に転居したことが認められるが、〔証拠略〕によれば名古屋市立大学病院までは中川区の住居からは往復八〇円、小牧市の住居からは往復三六〇円の交通費を要することが認められるところ、

(1)  昭和四二年一一月から昭和四三年二月までは、〔証拠略〕によれば六一回通院したことが認められるので、この間に要した交通費は四、八八〇円と認められる。(なお、原告らは右の期間、一カ月につき四日の割で片道をタクシーで通院した場合の交通費を請求しているが、原告軍治が右の期間タクシーで通院することがやむを得なかつたと認めるに足る証拠はないから、右タクシー代は本件事故と相当因果関係にある損害とはいえない。)

(2)  昭和四三年三月から昭和四四年一〇月までは、〔証拠略〕によれば少なくとも原告ら主張の一九〇回は通院したことが認められるから、右の期間に要した交通費は原告ら主張の六万四、二四〇円は下らないものと認められる。

(3)  〔証拠略〕によれば原告軍治は昭和四四年七月から同年九月までの間マッサージ施設に二四回通つたことが認められるところ、右〔証拠略〕によればマッサージ施設はいずれも原告らの居住している小牧市内にあることが認められるが、交通費として原告ら主張のように往復六〇円程度のものを要することは十分推測されるところであるから、右の期間に要した交通費は一、四四〇円と認められる。

そして、前記のとおり昭和四三年三月末日以降の治療、マッサージの必要性が認められる以上、右各交通費も本件事故と相当因果関係にあることは明らかである。

(四)  幼児の預り費用 九万二、〇〇〇円

〔証拠略〕によれば、一歳に満たない長男を抱えた上、身重の身で原告軍治の看病をしていたので、ある程度の期間長男を他人に預けることはやむを得なかつたと認められるところ、右〔証拠略〕によれば中野シズ子に一日五〇〇円を支払うことを約して一八四日間預けたことが認められる。

(五)  休業補償費 一九万五、六〇〇円

〔証拠略〕によれば原告軍治は本件事故当時タクシーの運転手として勤務していたが、本件事故以来現在まで働いておらず、前記のような原告軍治の受傷の程度、治療経過、後遺症の症状・程度から考えて、症状が固定したとみられる昭和四三年三月末日までは稼働することは不可能であつたと解されるところ、〔証拠略〕を総合すると原告軍治は本件事故当時、一日当り平均少なくとも一、二〇〇円の収入を得ていたものと認められるので、昭和四二年一〇月二一日から昭和四三年三月末日までの休業による損害は前記金額となる。

なお、賞与分については、〔証拠略〕によつても原告ら主張の事実を認めるに十分でなく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

(六)  逸失利益 一三三万三、六二五円

前記のような原告軍治の受傷の程度、治療経過、後遺症の症状・程度、その原因(原告軍治の個人的・先天的素因も一因となつている。)、原告軍治の年令等から考えて、昭和四三年四月一日以降少なくとも七年間はその労働力の三五パーセントを喪失した状態が継続するものと解するべきであるが、〔証拠略〕によれば原告軍治が勤務を続けておれば同日以降一年間は一カ月につき少なくとも三万八、六〇八円の収入を得ることができたものと認められ、〔証拠略〕によれば、昭和四四年四月一日以降は年間少なくとも原告ら主張のとおり六五万六、〇五二円の収入を得ることができたはずであるからこれらの逸失利益総額の一時取得額を年五分の中間利息を控除ホフマン式計算方式によつて算出すると前記金額となる。

(七)  慰藉料 一三〇万円

本件事故の態様、受傷の程度、後遺症の程度、入通院の期間、その他諸般の事情を考慮すると右金額が相当である。

(八)  弁護士費用 二五万円

〔証拠略〕によれば、原告らは原告ら代理人に本件の成功報酬として認容額の一五パーセントの支払を約したことが認められるが、本件の請求額、認容額、難易の程度等諸般の事情を考慮して被告らに対し本件事故による損害賠償として請求し得るものは右金額と認めるのが相当である。

したがつて、原告軍治の損害は合計三三六万八、一六七円となる。

(九)  原告セイ子の慰藉料について

〔証拠略〕によれば原告ら主張のような事情を認めることができるが、これらの事情のもとではいまだ原告セイ子が固有の権利としての慰藉料請求権を認めなければならない程度重大な精神的苦痛を受けた場合に該当するとはいえないから、原告セイ子の慰藉料請求は理由がない。

五、弁済

〔証拠略〕によればほぼ被告ら主張のとおりの金員が原告軍治に支払われた事実を認めることができるが、被告らの主張の(一)ないし(六)は本件請求外の損害に充当されたことは明らかであり、(七)のうち入院雑費として毎月一万円ずつ支払われた二四万円については、〔証拠略〕によれば右二四万円は被告林が毎月支払つたものであると認められること、〔証拠略〕によれば別途に入院雑費として若干の支払がなされていることが窺えること、通常入院雑費は一日二〇〇円程度要すると考えられるところ、原告軍治は約五〇〇日入院していることを考えると、右の二四万円の半分の一二万円は慰藉料として支払われたものと解すべきであり、又、その余の(七)の金員は本件請求外の損害に充当されたことは明らかである。

又、〔証拠略〕によれば(八)の金員は本件請求の損害に充当されるべきものであることは明らかである。したがつて、合計六二万円が本件請求の損害に充当されるべきものとなる。

六、結び

よつて、原告軍治の被告らに対する請求は三三六万八、一六七円から六二万円を差し引いた二七四万八、一六七円およびこれに対する本件損害賠償請求権発生の後である昭和四三年三月二三日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告軍治のその余の請求、原告セイ子の被告らに対する請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用の上主文のとおり判決する。

(裁判官 西川力一 高橋一之 岩淵正紀)

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